ゆっくりぼちぼちね

死は生の対極にあるのではなくその一部である

と語ったのは村上春樹。

人は生まれた瞬間から、確実にこの「生の一部」である死に向かって歩き続ける。
それだけは全ての人に等しく与えられた決まりである。


あかねちゃんの大好きだったおじいちゃんが他界された。
癌と老衰が追いかけっこして、老衰がフィナーレのテープを切ったそうだ。
あかねちゃんはその逝き方を「誇りに思う」と言っていた。
おじいちゃんの勝ち逃げだ、と。

そんなおじいちゃまのご冥福を、心より祈る。


でも多かれ少なかれ、身内がこの世を去るということは
遺された者たちが、心と体のエネルギーを消費することでもある。
死に臨む前の、何ともいえない緊迫感や、いつも何かできないか
自らに問いかけ続ける看病、そして静まり返った寂しさ。
そして見送った後の、張りつめた糸が切れそうになる瞬間、
それでも容赦なく追いかけてくる様々な雑事。

そんなことに平静に対応できる身内がいるはずない。
何十年という歴史を刻み、何人もの子供や孫たちに血を分けた人間が
1人去っていくのだ。
どんなにベストを尽くして見送れたとしても、
そこにいるべき人がいなくなっちゃうんだ。
寂しいにきまってるじゃないか。


もともと決して体力があるタイプじゃないあかねちゃんは、
律儀にメールを送ってくれるけれど、本当にぐったりしているだろうと思う。

心も疲れているときは、何かをやろうという気も起きない。
それがたとえ大好きな音楽だとしても。

でも、大好きな音楽だからこそ、
心身が少しでも元気を取り戻し始めそうな気配があれば
その変化にいち早く反応して、頭の中でメロディーが鳴り響くだろう。


音楽は逃げないから。
それまでまってるよ。
ゆっくりまってるよ。

ゆっくり、ゆっくり、休んでね。
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by triothep | 2005-02-08 13:49 | Vocal マメの独り言 | Comments(2)